2019年 振り返り 「自立への道」


この記事を書いているのは10/23(月)

仕事で、新宿から1時間半もかかる、久里浜に向かっている途中だ。


2019年もいよいよ終わりが見えてきて、来年で35歳になる。


元大阪府知事の橋下さんが言っていた、燃焼できる場所が見つけられるのは35歳までというのは、ほんと、当たってると思う今日この頃。



今年のテーマは「自立」だった。

とは言え、1月から9月までは、本当にただただ流されている日々だったと、今に振り返ると心から思う。本質は何も変わっていない、会社が1秒タオルからいこらぼ(毛髪栄養検査)への販売に切り替わり、ただ環境が目まぐるしく変わっていっているだけ。変わらない自分。


そんな中で、いつまでも変わらない自分を沸々と感じていたんだと思う。

9月あたりから、仕事以外の時間を減らし、土日はどこにも出かけないようにし出した。ちょうど、妻とも経費削減に舵を切ったのも、偶然とは思えないタイミングだったんだと思う。


もちろん、今の会社にいる以上、常に忙しい。

それでも、土日に何も予定を入れないと、空の時間が圧倒的に多くなる。


青梅や、後輩との合気道も、頻度を減らしていった。


これまでの人生、食や服など、さまざまなことに、それなりにこだわってきた。でも、それで心が満たされてたことはなかったんだと今は思う(もちろん、その時は若いなりに楽しんだし、それ自体を否定してるわけではない)。


今それらに全く関心が向かなくなり、本当に何もしない時間が生まれた時はじめて、これまで埋もれていた、心の奥の声が聴こえてきた。




「お前はそれでいいのか?」




もう、幾度と無く、あえて言語化するならば、このフレーズが頭をよぎっては、晴れることのない、悶々とした時間だけが訪れていた。


ただ、一つだけ、なんでかはよくわからないが、確信していたことがあった。それは、

「この空虚な時間は、確実に今後の自分の人生に必要で、これが過ぎれば急成長するはず」


なんの根拠も無い。


晴々とした気持ちでもない。


でも、確信はしていた。



思えば、自分はこれまでの34年間、流されに流されまくってきた。

ピアノ、相撲、漫画、ブラスバンド、柔道、高校受験、野球、大学受験、合気道、格闘技、アルバイト、就活


そして、人付き合い…


一見、多種多様なことにチャレンジしているようで、その全てが、「他人の真似をする、長い物に巻かれることで、安堵感を得たい」という、


チキンで、自分の考えを持たないものだった。


しかも、すべてにおいてそれなりに結果が多少出てたから、それも今に思えば不幸なことだったと思う。なぜなら、意図のない結果は、創意工夫が生まれないからだ。


絶望とか、そういうどうしようもないことが無い限り、本当の意味で人は、自分自身に「これで本当にいいのか?」と問いたださないんだと思う。なぜなら、答えの出にくい疑問を持つのはただただ疲れるわけで、気持ちも悶々として晴れない。疑問に思いさえしなければ楽だし、日々の出来事にも一喜一憂できる。


そういう過去の人生を振り返る中で、生まれてはじめて、ずっと振り返っては、本当に主体性の無い自分を呪いに呪った。


そしてはじめて、他人と自分を強烈に比較した。


今の上司の先輩。そして、妻。


二人とも、本当にお世話になっていて、二人とも自分のことを必要とはしてくれてはいるが、肝心の自分が、「本当に二人にとって必要な存在になれている!」と心からは思えなかった。

そして比較してみると、二人には共通して、「信念」があって、自分にはこの「信念」がなかった。


シンプルにそれだけだった。



では、この「信念」とは何か?


それは、自分で考えて、自分で答えを出して、間違ってもいいから自分の意見を持つことだ。

なんでこんな、小学生でも出来ることが、今できなくなっていったのか?

それは一重に、

常に自分の考えよりも、他人の考えに乗っかり続けてきたからに、他ならない。


人の考えに乗っかるのは、本当に本当に楽だ。


これまでの人生の大半、それにどっぷりと浸かっていたから、本当にそう思う。


でも、それが心からの満足に繋がるかと言えば、自分の場合だが、限りなくNoだった。でもそれは、人間である以上、誰だって、自分の考えに基づいて人生を謳歌したいはず。


でも、色々な環境下の中で、それを諦めてしまう人も多いのも、また事実だと思うし、自分もその中の一人であることは間違いない。



では、自分は本当に意見を持っていなかったのか?生まれた時から何の意見も無かったのか?


そんなことはなかった。


少なくとも自分が保育園の時の話を母親に聞く限り、


入園式では脱走し木登りして、

自分の興味の有無で発表会に参加して、

運動会ではチョークを身体中に塗りたくり、

そして、自分のジャンケンパラダイスのダンスを死んでも見せたいという気持ちで学研(?)の人を根負けさせて披露したり、


とても今、人生に迷っている人間の幼少期とは思えないほどだったと思う。


中でも、この学研(?)の人の話は、自分で言うのもなんだが、とても興味深く、母親が言うには、


「この子は、ここまで必死に見せたいということは、きっと何かがあると思うんです」

というセリフを頂いたらしく、

(この人がそもそも神対応ということはあるのだが)


ここに何か、自分の原動力のヒントが眠ってるんじゃないかと思い、思考を巡らせていった。



実は、社会人になってから、

サロンオーナーさんと飲んでて、二次会で昭和の曲ばかりが流れる曲のお店に行った時、楽しくなって自分が踊り出したら、自分を中心に周りに輪が出来ていて、気が付いたら大盛り上がりになっていたことがあった。


自分は気に留めてなかったが、

それを見た上司の先輩が、

「いやぁ、根木君はあんなに人を巻き込める力があるんだね、驚いたよ」

このように言って頂いた。


この時は、もしかしたら、ジャンケンパラダイスを披露した幼少期の頃と同じマインドだったのかもしれない。



じゃー、このマインドの正体はなんなのか?


それは、とてもシンプルで、

「自分が何かすれば、多くの人が喜んでくれる」

ということだった。



間違いない。

「絶対に喜んでもらいたい」


ただただ、その一生懸命さが、小さい時も、大きくなっても、人の心を動かしてたんだと思う。


少しずつだが、

モヤモヤとしてた霧が薄くなっていたように思う。


そんな時、冒頭に紹介した、

橋下さんの動画を上司の先輩が

送ってくださった。


本当にこれも、つくづくタイミングであり、縁だと思う。

https://youtu.be/foPYWVruYTY


橋下さんはニートの若者に言った。

「今、死んでも後悔がないか?」

「完全燃焼してるか?」



自分に当てはめてみた。


ジャンケンパラダイス

→完全燃焼してた、一生懸命だった


昭和ブギ

→完全燃焼してた、一生懸命だった


今までの仕事

→完全燃焼してない…一生懸命じゃない…


もう明白だった(笑)

ここでのポイントは、決して自分は、仕事で手を抜いていたつもりはない。どちらかと言えば、まー頑張って来ていた方だと思う。


それは柔道にしても、野球にしても、合気道にしても、すべて言える。


でも、ジャンケンパラダイスには有るのに、これらには決定的に無いものがある。

それは、誰にも指示、命令されることなく、自ら動いたかどうかということ。その上で、一生懸命頑張ったかどうかだ。


結局、人は、頑張ってる人に心動かされるんじゃない。

自らの意志で動き、決断し、懸命に頑張ってる人に心打たれるんだと思った。

自分でその感覚を持っていながら、

大人になるにつれて、心の奥底にしまい込んでいったんだと思う。傷つくのを恐れて。


しかし、

この空白の時間を自ら作り出したことで、

「お前はこんな人生でいいのか?」

という、しまい込んだ自分の意志が、

頭をもたげるようになった。


そして、思い出した。


そして、思った。


「完全燃焼したい…」

「完全燃焼し切って人生を終わらせたい…」

「それしか自分が今、幸せになれる方法はない」


そう思って、いてもたってもいられなくなり、

机に100年の年数表を張り出した。


自分の人生は、確実に終わりに向かっていることを

可視化したかったから。

(ジョブスの、今日が人生最後の日だったら?のスピーチから思い立った)


そして、自分の人生のゴールを

「完全燃焼」とした。


それこそ、いつ死んでも、ラオウのように、

「我が人生に一片の悔いなし!!!」

と、声高らかに死にたいと思った。



そして次に、

なぜ今自分が、完全燃焼できないかを考えた。


それは一重に、

仕事における、主体性が無いからだと思った。


そりゃ、

ジャンケンパラダイスや昭和ブギは、商売ではないし、相手から厳しい評価はくだされない。

ある意味、自分が率先してさえすれば、勝てるように出来ている、とてもイージーなものだ。


しかし、仕事ではそうはいかない。

当たり前だが、貨幣経済の中で等価交換であるため、向こうからも対価をもらう以上、こちらがより洗練されたサービスを提供しなければならない。



では、仕事で主体的になるには、どうしたらいいか?

それは、仕事のレベルを上げるしかない。


仕事のレベルとは何か?

それは、当たり前だが、仕事で周りが求める結果を出すこと。それしかない。


でも、ここで忘れてはならないことがある。



それは、なぜ仕事に没頭するのか?


その理由だ。

それは、自分の原動力となっている、

「多くの人に喜んでもらいたいから」

この原動力を絶対に忘れてはならない。



だから今は、

ピアノとか、お酒とか、野球とか、合気道とか、


もはや食にすら興味がない

お腹を満たすことでもない

お酒でもない

性欲でもない

たっぷりの睡眠でもない



自分の人生を

完全燃焼してるかどうか?


今死んでも悔いのないよう、

目の前のことに完全燃焼しているか?




それだけだ。


久里浜に着いた。

PRIDEのテーマソングが流れる。自分の青春を注いだ思い出の曲だ。

さぁ、行こう。

自分のリングへ。闘う男へ。闘い切って死ぬ男へ。


これを読み返してる俺よ、

一回しかない人生、

完全燃焼していますか?