【ブログ】なんでこのチーム名が「適当」なのか?

皆さん、こんにちは!

新年あけましておめでとうございます!

本年もテキトーによろしくお願いします!


さて、

昨年から、僕の思い付きで発足したこのチームも、

(古い付き合いのメンバーにとって、僕の思い付きな行動は相変わらずのことなんですがw)

おかげ様で2年目に突入しまして、

今年もゆるくテキト~に稽古会をしていきたいと思ったのですが、

これもチーム名のサガ(?)なんでしょうかね。


いつも使っているスポーツセンターが改修工事のため、3月まで休館(笑)


新年早々どんだけテキトーな事態やねんw


心優しいメンバーが他の施設も探してくれていたりしたのですが、、、

3月までの間は身体を動かすことはいったんお休みして、

頭の運動ではないんですけど、

自分なりに普段思っていることを、3回に渡って皆さんに

発信していこうかなと思いました。(←これもまた思い付きww)


最後まで、お付き合いいただければ幸いです!(^^)/




第一回目の発信は、

「なんでこのチーム名が「適当」なのか?」です。

僕は「適当」という言葉がほんとうに好きで、

それなりに思い入れがあって、このチーム名にもしたわけなんですが、


この適当って言葉は

もともと戦時中に兵隊さんの間で

使われていた言葉みたいなんですよね。


上官が部下に対して、

「明日の準備は”適当”か?」


これに対して部下が

「はい!”適当”であります!」


こんな使われ方をしていたようです。


ところが、どの時代にも僕のようないい加減な人がいるんですねw


準備がキチンとできていないにもかかわらず、

上官の返事に対して、「はい!”適当”です!」(←ほんとは出来てない)


と、とっさにごまかして使っていたことから、

適当という言葉は次第に、

ちゃんとやってない、ダメな例として使われることが

一般化したということらしいんです。



でも本来、適当という言葉は、


①ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。

②度合がちょうどよいこと。


と、ネットでググってもこのようにありますように、


要は

ちょうど良い


ってことなんですよね。この言葉の心は。



んで、

も少しこの心を分解・解説するならば、


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盲目になったりして、やり過ぎてもダメ


そうかと言って、

ダラけ切って、やらな過ぎるのもダメ


自分にとって、ちょうど良い具合を、人生の中で見つけていきなさい

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ということなんだと思うんですよ。



僕はお仕事で、

返そうにも返しきれない位の大きなご恩がある大先輩がいて、

(僕の人生で、家族と同じくらい、一番濃厚な時間を一緒にさせて頂いている方)

その方もいつも「中道が大切」と言っています。


具体的な団体名などはここでは書けませんが(笑)

要は、世の中には、一つの何かを信じ過ぎるがために、

その信じているモノが正しいんだ!ということを証明するために、

人と人が殺し合ったりしているわけですよ。


ワンピースの赤犬みたいな思想です


で、この行き過ぎた思想や行動は、どこかに必ず歪みが発生します。

(赤犬がオハラを滅ぼしたシーンのように)


で、その歪みに気付いた人が、中立を叫ぶんですが、

(しろひげと海軍の全面戦争の時のコビーみたいな)


当然、それを信じている人からしたら、

抹殺対象になるわけです

(コビーが赤犬に殺されかけたように)


(((((((( ;゚Д゚)))))))コエー



だから、僕の先輩もよくおっしゃってますが、

中立を叫ぶにもしても、

それは決して妥協するとかではなく、

一人ひとりが勇気を持って、

偏ってる人たちと時には闘っていかなきゃいけないこともあるってことなんですね。

(コビーが絶対に勝ち目がない赤犬に立ち向かっていったように)



合気道の達人、故・塩田剛三先生も、

「いばってはいかん 妥協してはいかん 和合すればよい」

というお言葉を残されています。


この「チーム:テキト~」というチーム名は、

僕なりの、世の中の偏った考えや思想・発想に対する野郎どもに対する

アンチテーゼ(ただの反抗心w)でもあったりするわけです。



で、僕は長年お世話になったこの合気道を通じて、

自分たちにとってのちょうど良い具合を、

参加してくれた一人ひとりが見つけられたらいいな、

で、人生をもっともっと活き活き過ごせるようになったらいいな、

という想いで、この会をやってるんですね。



実際、合気道は、この「ちょうど良さとの闘い」なんですよね。


力を入れ過ぎて技をかけてもダメ

相手とぶつかってしまう

(争い・戦争・力や数が多い方が勝つ世界)


かと言って、

ふにゃふにゃでもダメ

相手の力に負けてしまう

(相手の言いなりになったり、自分の気持ちに嘘を付く・服従・卑屈・自分なんてどうせダメの世界)



自分にとっても、相手にとっても、

ちょうど良い力加減・力の具合を

見つけられるかどうか、

発見できるかどうか、

気付けるかどうか、

築き上げられるかどうか、


これが合気道の真髄であり、自分が死ぬまで続き、

また死んだあとも誰かにバトンを渡して、

人々がこれからも歩むことになる、

終わりなき人の道だと僕は思うんですよね。



別に、この資本主義社会で、

しかも世界でもトップクラスに治安の良い日本で

人をぶん投げたり、押さえつけたりすることが、

直接的に役に立つことってそんなにないんですよね。


本当にそういうことをやりたいなら、

もっと実践的な護身術とかがあるわけで。



そうではなくて、

この合気道の技をやっていく中で、

そういった精神や考え方を学び、

自分の仕事や家庭、人生に活かしていくことが

合気道が残してくれたことなんだと

僕は解釈しています!



人付き合いで言えば、

エヴァンゲリオンでミサトさんも

「ヤマアラシのジレンマ」の話をしてくれていますが、


近づき過ぎると、お互いのトゲがブチ刺さってお互いを傷つけてしまう

(なんであの人は私をわかってくれないんだ!?という過度な理解を求めることから始まる、相手への落胆や、悲しみから来る暴言・言い争いなど)


かと言って、

傷つくのを恐れて、距離を取り過ぎると寒くて凍えてしまう

(人と極力接しないようになって、孤独になる、人に冷たくする)



合気道にしても、このヤマアラシのジレンマにしても、

先人たちは、ピンとくる本当にわかりやすい表現を

私たちに残してくれているな~と、つくづく感じます。


皆さんにとっての「ちょうど良い」が見つかることを願っています(#^.^#)


ここらへんも、稽古会で身体を通じてお伝えさせてもらってます!

(4月の稽古会まで、乞うご期待!(笑))



LINE@にて、この記事の感想や励ましのメッセージや質問なんかもらえると、

嬉しくてもっと頑張っちゃいます(笑)


最後までお付き合いいただき有難うございました(^^)/

来月もテキトーに執筆していくので、お楽しみに~♪


2月の記事に続く